拍手してくれた貴方のためのお礼その3(07/11/13) 「獣化愛を、誰にも望まれていないけど語っちゃうスペシャル」 3度以上拍手していただけた、希有な貴方に、宮尾の獣化愛を語ります。 大体、何で獣化にはまったのかなーと言うのを自分で紐解いて見ると、そもそもの原点は獣化で無かったことに気付きます。 幼稚園ぐらいの頃、多分小学館のようちえんか何かの雑誌に付録として、昔話の小冊子がついてきたんですね。 その中の1篇に、「悪さばかりしてた4姉妹がある日突然植物の蔓(つる)になってしまった」だか何だか、よく覚えてませんがそんなハナシが有って。 で、それがすっごい心奪われて。何故だか知りませんが。初めて変身を意識したのは植物化だったんですね。いまじゃあまり萌えませんが。 もっとも、当時は当然それが”萌え”だと気付くはずも無く、ただ幼心に、女の子が変身してしまうということに対しての悶々とした思いばかりが募っていったのです。 で、その後も、変身に対しては浅からぬ感情を抱いていたものの、それが何の感情なのか分からないままでいましたが、ついに獣化への覚醒を迎えます。 「闇のパープルアイ」。 今でも、萌えます。この作品大好き(とか言いながら、所持して無いんですが;)。人間が動物に変身してしまうということに興奮する自分に気付き、ついに、やらしい言い方しちまったら、発情だわな(いやん)って事に気付いたわけです。 そしてその後さらにセンセーショナルだったのが、手塚治虫。 この人の漫画との出会いが、自分の運命を(良きにしろ悪きにしろ)大きく狂わせたんだなって今でも思います。 自分が手塚の作品を愛する頃には、既に彼は故人。無駄に神格化される傾向にあった中、「愛と感動のヒューマニズム」なんてこれっぽっちも興味なくて、彼の書く変身モノ、或いは動物ものばかりを追っかけていました(もちろんそれ以外もそれなりに読みましたよ?一番好きな作品に「バンパイヤ」ではなく、あえて「白いパイロット」をあげてしまうぐらい。このあたりにガノタの血が垣間見える) でも、私が中学生くらいの時はまだ世間に獣化の風は吹いてませんでした。高校生になっても、ネットでちらほら見掛けはしますが、どどーんとでっかく獣化だけを愛する人間が獣化だけのサイトを持っているケースはまだまだ少なかったです。 そんな獣化界隈にとって、大きな転機が訪れたのが2005年でした。小説サイト「冬風書館」と情報ブログ「狼の眉」の開設です。 この瞬間、「時代が来た」と確信しました。そして驚いたのが、両サイトに集った獣化好きの数。こんなにいたのかと。今までアクション少なかったから、てっきり少数派だと思ってたのに(いや事実少数派でしたが)、思いの外獣化を愛する人は多いのだと知り、自分もそんな人のために、少しでも萌えることが出来る場所が、ものが、増えればイイナと思い、今まで書いたことの無い小説を書く決心をしたのであります。 ところで、自分がどれだけ獣化を好きかといえば。 ・動物を見ていると、それが実は動物の姿に変身した(させられた)人間だった、という妄想だけで、しばらく楽しい ・児童書コーナーはもう恥ずかしくない(少女漫画コーナーはまだちょっとコッパズカシイ) ・お気に入りの殆どが、変身モノのサイトか、変身に関する記事 なのです。 でも、何故こんなに獣化に魅せられるのか。まぁ、ものの好き嫌いに、理由なんてありはしませんが、恐らくは獣化に、人間の本質を投影したいんでしょう。 宮尾小説の基本スタンスとして「獣化→素直になる→成長」という基本ロジックを用いているところです(例外作品も多々ありますけど)。 私が描きたいのは、変身の前後でして。変身して終わりではなく、その主人公の人生(獣生)は、獣化後も続いていくはずだから、それを描きたいんですね。 獣化がゴールではなく、獣化がスタートである。そう考えると、ただでさえ魅力的な獣化が、ますます夢のあるモノになると思いませんか? そんなこんなで、今日もつたない文章を、皆様に突っ込まれながらどやされながら、楽しく書き続けているわけであります。 脈絡の無い愛の語り方で申し訳ないです。